困った時はなんでも言って下さい
4年間大切に使ってきたiPhone4Sを下取りに出してきた。なんというか、とても寂しい気持ちになった。信じられないくらい愛着があったし(なんで簡単に、非常にあっさりと下取りに出したんだよ)、初めてのスマホ(iPhone)ということで思い出深い1台でもあった。Wi-Fiがあればインターネットに繋いで使うことができるから、自宅での仕事用(なんの仕事だよ)にサブ機として用いてもよかった。だが、物に執着したばかりに家がゴミ屋敷のようになってしまっても困る。あまり物を持たず、シンプルな暮らしを心がけたいと思っているので、とても寂しいが、不要なものは処分するしかないのだ。さらば愛しき4Sよ。
昨日、今日と車の運転をしたのだが、どうも右肩が痛む。実家に帰った際、父親のオーディオを処分するため力仕事をしたせいだろうか。僕は見た目に比べ、あまり力が強くない。実際に貧弱で、体がかなり弱く、すぐに風邪を引く(風邪を引くという事は馬鹿じゃないってことなんだ)。オーディオを片付けるだけで肩を痛めるなんて、さぞかし貧弱だと思われたことだろう。しかし、スピーカー1つで70kgもあるのだ。そんなものを2階から降ろさないといけなかった。最初は一人で持てるだろう、と高を括っていたが、父親が掃除をしている間に試しに持とうとすると1ミリたりとも持ちあがらなかった。デカいスピーカーの下に毛布などを敷いて、床を滑らせ、階段は父と二人掛かりで、1段1段休憩を入れながら慎重に降ろした。僕が下で、父が上に立って。下方に立つものは後方に転倒すると危ない。階段に叩きつけられると同時に、70kgのスピーカーに押し潰されるのだ。スピーカーと階段に挟まれ、すり潰されながら、一番下まで悲鳴を上げて落ちなければならない。僕は気を遣って下で支える役を担った訳だが、実際には低い姿勢で腰に負担のかかる、上で持ち上げる役割を担った父の方がずっときつそうだった。父親は無限に息切れしながら腰骨の砕けそうな前屈の姿勢で、時折呻き声を上げながら運び降ろしていた。まさか若い頃の自分の趣味が年を取ってから、凄まじいダメージとなって返ってくるとは想像できなかっただろう。そのオーディオ機器の搬入はすべて業者が行った、父の不在時に。
その70kgほどあるデカいスピーカーを二つ運び降ろした。スピーカーに圧せられ、40年ほど無呼吸で忍耐し続けた畳はヘロヘロになって、今にも抜け落ちそうになっていた。オーディオを配置してから、いや、家を建ててから一度も畳を変えることができなかったのだという。他の部屋の畳は僕の生まれた後に何度も変えたというのに。「これで畳を変えることができる」と父は言った。
スピーカーが終わるとレコードプレイヤーやカセットデッキなどの機器が8点ほどあった。それが乗った棚を力任せに動かし、後ろから複雑に接続された配線を躊躇なく引っこ抜く。「これ迷いなく外しちゃって、後で元に戻せるの?」と聞くと「わからねえ(多分無理だ)」と父は言った。もう投げやりな感じだ。
「これは重いぞ」と手渡された、よくわからない機器は確かに重かった。「これはトランジスタの発熱板が入っているんだ」という通り、よく見ると鉄板らしきものが何枚か入っているのがわかる。トランジスタはかなり熱を発するらしい。何のことなのかさっぱりだ。「これはビンテージ」とデカいカセットデッキを渡す父。一つ一つの機器を大切そうに渡してくる。真空管アンプを持って行こうとすると「それはここに置いておくんだ」と言う。飾って置きたいのだろう。よくわからない僕でも、なんだかマニアックで、カッコいい感じに映った。
若い頃、一人でよくジャズを聴いていた父親は、いつからか全く音楽を聴かなくなっていた。仕事ばかりしているイメージだった。たまの休日には田畑で働いていた。僕たち子供のために、自分を犠牲にしてきたのだろう。
ふとレコードプレイヤーの上を見ると、僕が小学校低学年の時、父親にプレゼントした「お手伝い券」が置かれていた。「困った時は何でも言ってください」というメッセージと共に訳のわからない絵が描かれていた。父はそれを捨てずにとっておいてくれたのだ。捨てようにも捨てられずにいたと思う。なかなか困った代物だったに違いない。時の経過とともに色褪せたお手伝い券を、今、受け取った気になって、僕は重いオーディオ機器を2階から降ろし終えた。父はその日早く寝て、翌日なかなか起きて来なかった。

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昨日、今日と車の運転をしたのだが、どうも右肩が痛む。実家に帰った際、父親のオーディオを処分するため力仕事をしたせいだろうか。僕は見た目に比べ、あまり力が強くない。実際に貧弱で、体がかなり弱く、すぐに風邪を引く(風邪を引くという事は馬鹿じゃないってことなんだ)。オーディオを片付けるだけで肩を痛めるなんて、さぞかし貧弱だと思われたことだろう。しかし、スピーカー1つで70kgもあるのだ。そんなものを2階から降ろさないといけなかった。最初は一人で持てるだろう、と高を括っていたが、父親が掃除をしている間に試しに持とうとすると1ミリたりとも持ちあがらなかった。デカいスピーカーの下に毛布などを敷いて、床を滑らせ、階段は父と二人掛かりで、1段1段休憩を入れながら慎重に降ろした。僕が下で、父が上に立って。下方に立つものは後方に転倒すると危ない。階段に叩きつけられると同時に、70kgのスピーカーに押し潰されるのだ。スピーカーと階段に挟まれ、すり潰されながら、一番下まで悲鳴を上げて落ちなければならない。僕は気を遣って下で支える役を担った訳だが、実際には低い姿勢で腰に負担のかかる、上で持ち上げる役割を担った父の方がずっときつそうだった。父親は無限に息切れしながら腰骨の砕けそうな前屈の姿勢で、時折呻き声を上げながら運び降ろしていた。まさか若い頃の自分の趣味が年を取ってから、凄まじいダメージとなって返ってくるとは想像できなかっただろう。そのオーディオ機器の搬入はすべて業者が行った、父の不在時に。
その70kgほどあるデカいスピーカーを二つ運び降ろした。スピーカーに圧せられ、40年ほど無呼吸で忍耐し続けた畳はヘロヘロになって、今にも抜け落ちそうになっていた。オーディオを配置してから、いや、家を建ててから一度も畳を変えることができなかったのだという。他の部屋の畳は僕の生まれた後に何度も変えたというのに。「これで畳を変えることができる」と父は言った。
スピーカーが終わるとレコードプレイヤーやカセットデッキなどの機器が8点ほどあった。それが乗った棚を力任せに動かし、後ろから複雑に接続された配線を躊躇なく引っこ抜く。「これ迷いなく外しちゃって、後で元に戻せるの?」と聞くと「わからねえ(多分無理だ)」と父は言った。もう投げやりな感じだ。
「これは重いぞ」と手渡された、よくわからない機器は確かに重かった。「これはトランジスタの発熱板が入っているんだ」という通り、よく見ると鉄板らしきものが何枚か入っているのがわかる。トランジスタはかなり熱を発するらしい。何のことなのかさっぱりだ。「これはビンテージ」とデカいカセットデッキを渡す父。一つ一つの機器を大切そうに渡してくる。真空管アンプを持って行こうとすると「それはここに置いておくんだ」と言う。飾って置きたいのだろう。よくわからない僕でも、なんだかマニアックで、カッコいい感じに映った。
若い頃、一人でよくジャズを聴いていた父親は、いつからか全く音楽を聴かなくなっていた。仕事ばかりしているイメージだった。たまの休日には田畑で働いていた。僕たち子供のために、自分を犠牲にしてきたのだろう。
ふとレコードプレイヤーの上を見ると、僕が小学校低学年の時、父親にプレゼントした「お手伝い券」が置かれていた。「困った時は何でも言ってください」というメッセージと共に訳のわからない絵が描かれていた。父はそれを捨てずにとっておいてくれたのだ。捨てようにも捨てられずにいたと思う。なかなか困った代物だったに違いない。時の経過とともに色褪せたお手伝い券を、今、受け取った気になって、僕は重いオーディオ機器を2階から降ろし終えた。父はその日早く寝て、翌日なかなか起きて来なかった。
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