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空中浮遊

 どこに行ってもキンモクセイの香りが漂って来る。とてもいい匂いなのに、なぜか季節的な理由から、ある物事が去ってしまった寂しさを想起させる匂いであると自分で決めつけてしまっていて、この香りを吸い込むと物悲しい気持ちになるのだ。仕事などで家を出るとき、もう二度と「この場所」には戻って来られないような気がして、途端に涙が零れ落ちそうになる。もしかすると明日帰る場所は、こことは違った別の場所なのかもしれない。明日当たり前のように触れる猫の天鼓は実は全く別の縁もゆかりもない三毛猫かもしれない。もちろん、思い過ごしなのだろう。だが、一体誰が僕のこの心配事、不安事を完全に否定できるだろう。



 ある時から人生が喪失の連続であるように感じる。得るものは何一つないような気がするのに、やたらと失われていくことが多く思えて仕方ない。これはまるで老人の言い草か。ここで老人が喪失の連続に満ちていると言い切ってしまうと、僕自身が老人差別の塊、エイジズムそのもののようなものだと白状するようなものだが、自分が32歳を過ぎて決定的に老いを感じ始めたという点で、僕は老人であると言える。「若造が何を言っている、老いとはもっと非情なのだ」と僕の両親や祖父母の代の人々が上から腕組みして見下ろしているかもしれない。確かにそうだ。僕はまだ32歳なのだ。若者の僕は「もう32歳だ、精神年齢はいつまでも12,3歳程度なのに」と溜息を禁じ得ないのに、人生は(病気や事故で死なない限り)まだまだこれからであり、道はどこまでも続いている。

 死んだらどうなるのか。こんなことを考えても答えなんてわかるはずもないし、時間の無駄だとわかっていても、考えずにはいられなくなる。だって、そうじゃないか。この世で体験してきたこと、美しい思い出がすべて無となり、なくなってしまうなんてあんまりじゃないか(クソみたいな体験は消えてほしい。ワガママかな)。この世の苦しみとは一体何のためだったのか。僕は夏よりもずっと早い10月の夕暮れ空を眺めながら、輪廻転生を信じてもいいとさえ思った。僕はこの世の美しさと醜さと、自分の体験した感動とを携えて、このキンモクセイの香りに乗って転生するのだ。後の世で僕はおそらくこの世の記憶を大切に隠して、時に謙虚に時に大胆に暮らすことだろう。
 また僕はこうも考えた。人は肉体と精神が一体となって生きているだけではない、人は死んでも誰かの記憶の中に生きることができるのだと。関わりのある人が死んだらどうなるか。さらにその人と関わりのある人の記憶の中に、生きる訳だから、人が次々に死んでも、記憶の無限の連鎖で、人はずっと生き続けられるのだ。だから、人は死なない。肉体がこの世から消えても、記憶に生命が強く結びついている。人は肉体を失っても最終的に記憶の中に精神を移住して生き続ける事ができるのだ。では天涯孤独の身の人はどうなるのか。知り合いさえ一人もいないとなると。だが、この世に生を受けたのであれば親がいるはずだ。星に漂う親の記憶の中で天涯孤独の者でさえ生き続けることができるのだ。
 一体何を言っているのだろう。だが、時折こうして訳のわからない生命の歌を脳みその中で無限に再生させて、秋の夕暮を憂鬱に舞い漂うのが、僕の癖なのだ。
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