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自主性のない読書は時間の無駄

 自主的に読書を継続するようになったのは25歳の頃だった。それまでは学校の読書感想文で最初の数ページだけ読んで、嫌になるタイプの人間だった。文章を読んで、物事を想像することがかなり苦手で、苦痛だった。今も変わらないが(実際、うまく想像できないものだから、読むスピードが驚くほど遅い)、面白いと思って読むと違ってくる。

 学校の読書感想文では、学校側で用意されたテキストの一覧から、本を選ばなければならなかった。僕は薄い(ページ数が少ない)という理由で本を選出していた。けれども、経験的にそういった薄い本は、かなり難解だったりする。たとえばカフカの『変身』などは高校生の僕には難しすぎた。僕が高校生の頃は、絵本がやっと読めるくらいのレベルだった(絵が楽しかった)。そこに来て『変身』という話など理解できるはずもない。なぜ、ある朝起きたら虫に変身しているのだ。実を言うと、今でもよくわからない。そこに実存主義とか、孤独だとか、色々付け加わってくると、もう訳がわからなくなる。虫けらのように扱われる人が本当に虫になってしまうなんて、酷い話じゃあないか。
 大岡昇平の『野火』という小説もページ数が少ない。夏休みの読書感想文だったし、ちょうど戦争の話を読むにはいい時期だったが、これも数ページ読んで放棄した。すべて読み終えたのは最近のことだ。内容が面白いとか、つまらないとかでなく、無知で、文章の読めない僕にとっては、やはり難解だった。戦争中の飢えとか、病気とか、敵兵や、捕虜になること、死体等、戦争を全く知らない赤ちゃんのような人間がいきなり読むと、話に着いて行けない。なぜ飢えるのか、飢える原因さえもわからない。お腹が減ったら、ご飯を食べたらいい話だ。しかし、戦地で十分な食事にありつけないことなど知らないから、食べられないという状況を理解できない。飢える気持ちなんて全然理解できない。栄養が不足し、脚気になる、というようなことが書いてあったと思うが、「脚気ってなんだよ」と思う。意味がわからずに読んでいても、全く面白いと思わない。いかに心のこもった文章も、全然理解できなくて、「つまんね」と途中で放り出すしかなかった。
 ヘミングウェイの『老人と海』は、シンプルだが、カジキとの格闘が本の半分以上、実に70ページ以上も描かれていたと思う。いつまで経っても、カジキと戦っている。やっとのことで老人は勝つのだが、最後の終わり方はあんまりだった。せっかく獲ったカジキを船に繋いで、漁港まで牽引していくのだが、サメに食べられてしまうのだ。カジキの角だけ残って、漁師仲間からは「これはでかいぞ」と信じてもらえて、名誉だけは守られていたはずだ。おそらく、それこそが大事なのだろう。しかし、老人は生活できるのだろうか、と心配になってしまう。これは25歳か26歳になって初めて読んだけれど、高校生の頃に読んでいたら、カジキとの格闘の途中で挫折していたに違いない。
 レンチェル・カーソンの『沈黙の春』という本では、地球環境について延々と書かれているのだが、これは挫折して読んでいない。途中で止めた理由は、同じような内容が繰り返し書かれているからだ。こんなことを言ったら、地球環境の改善を願う志の高い人々に糾弾されそうだ。実際、最後まで読んでいないから、この本に関して確実な感想を述べることはできない。ただ、同じように『沈黙の春』を読んだ友人がいて、彼に感想を聞いてみると、僕と同じ理由で途中で挫折していた。

 結局のところ、本を読むのであれば、積極的な自主性がなければならない。他人から強要されて読んでも、面白くない。夏休みが終わり、読書感想文の提出が遅れに遅れ、適当にカフカの『変身』のページをパラパラとめくり、開いたページの文章を抜き出して、デタラメな要約みたいな文章を書いて提出した瞬間に、国語教師がその場でさらっと読んで「ダメだこれは、これはただのあらすじだ」と言って付き返される、面白くないと思って読んだら、そういった悲惨な結果になってしまうだろう。自主性のない読書は時間の無駄だ、読書感想文なんてやらない方がましだ。あるいは、学校側で指定されていない本でもいいから、好きな本があればその本についての感想文を提出した方が、自分のためになる。
 読みたい本を読みたい時に読むのが一番良い。面白いと思ったものを面白いと思いながら読めることが重要なのだ。面白くなってくると、作者の生い立ちとか、生きていた年代の時代背景にも興味が湧いてくる。そういうものを知ると物語に深みが出て、格段に面白くなるはずだ。

 読むことでなく、ここからは書くことについて少し述べる。実は25歳の頃、本を読み始めてから、自分でも何か書いてみようと思って、いくつか小説のようなものを書いたことがあった。そうしたいくつかの話に対する感想を5,6年経過した今になって、友人が「面白い」と言ってくれた。とてもうれしかった。おそらくは、学生時代をともに過ごした友人だからこそ、僕の性格や、出来事を知っており、そうした時期に経験したことをもとに作った話を理解してくれたのだろう。
 25,6歳の小作品群は、とても拙い文章ではあるが、僕にとっては大切な思い出だ。それを今引っ張り出してみると、書きかけのまま、途中で放り出したものがいくつかある。25,6歳の頃の情熱と勢いは失われたものの、今になってまた続きを書いてみたいと思ったのだった。

 しかし、書こうと思うと、手が止まる。ブログすらどうやって書いていたかよくわからなくなってしまった。最近更新が少ないのも、何もしていない訳ではないのだ。一応、更新しようと思っているのだが、2時間くらいカーソルの点滅を眺めて終わってしまうのだ。今までのブログを読むと、これは本当に自分が書いた文章なのかと思ってしまった。文章たちは、すでに僕の手元から離れて、独自の道を歩んでいるように思えた。僕の脳みそから文章が出て行って、頭の中が真っ白だ。

「すみません、ブログはどうやって書けばいいのでしょうか?」と誰かに聞きたくなった。

「知らね」とその誰かが答えることを僕は知っている・・・
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