僕は仕事を辞めることにした

 昨年7月に収入が低いと文句を言っていた。年内には仕事を変えるとまで言っていた。夏の暑い日にハローワークに行った。何度か行って、途中で行かなくなってしまった。正直言うと、迷っていたのだ。今やっている介護の業界でステップアップして行こうという気持ちがあまりなくて、どちらかと言うと仕事が辛いから逃げたい気持ちの方が強かった。もう介護はやめようと思っていた。だが、ほかの業界に進もうと思っても、経験がない。そもそも何をやりたいのかもわからない。適当に求人を探してみても、詐欺のような胡散臭い求人(失礼かもしれない)ばかりがヒットする。そんなものに将来を賭けるのは如何なものかと思ってしまった。結局、迷ったまま、転職できずに年越しそばを職場で食べ、辞めたいと思っている職場で新年を迎えた。

 介護業界でスキルアップを目指そうと決意したのは今月に入ってからだ。本当につい最近のことだ。それまでは逃げよう、逃げようとしか思っていなかった。逃げられる限界のところまで、とことん逃げてやろうと思っていた。だから、僕は一生アルバイト生活のまま、定年を迎え、定年後も生活ができないのでアルバイトをするかもしれないと思っていた。苦しい想像だった。
 今月初め、思い立って、ハローワークに行き、特に求人も検索しないまま、職員に相談をした時のことだ。「特にやりたい仕事がないが収入が低いので転職したい」と伝えた。職員は曖昧なことばかり言って、特に求人を紹介しようという気もないようだった。当然だ。やりたいことがない人に何を言えというのだ。その職員は、どうしたらいいのか困った様子で、もごもごと小さな声で喋っていた。その姿が自分と重なった。きっと、今の僕はこの人のように、自信なさげに小さな声で、ブツブツ文句を言うだけで、何も解決しようとしていないのだろう。僕は職員の態度と自分のだらしなさに焦れったさを感じ、「わかりました。もう一度求人を検索してみます」と言って、席を立った。
 介護業界で仕事を続けて行くことが一番楽で早く収入を上げることができる道だと思った。そこで介護の経験が活かせるように求人を探した。妻にも求人票を見てもらい、意見を聞くなどした。今月からまた就職活動を始めることにした。今年こそ、義父の墓前にいい報告がしたかった。

 今月始めに、家から近くて、検索した中で一番条件のいい求人に応募した。面接があり、2日後には採用の連絡があった。正社員としての採用だった。僕が正社員?なんだか似合わない気がした。ほぼ10年、縁がなかった言葉だ。
 人生で一番運がよかったような気がする。先方からの連絡は決まって、僕が休みの日で、すぐに応答できた。スムーズに事が進んだ。採用の連絡は夜勤の日の朝だった。その日のうちに今の職場に退職届を提出した。

 最初に就職した会社を辞めてから今まで無職だったり、アルバイトを転々としたりして、家族や友人には心配をかけていた。支えられながら、今までやってきたが、期待に答えることができなかった。不甲斐なかった。逃げたいと思っていた自分を恥ずかしく思う。これから、少しでも恩返しできればと思っている。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

しばらく戻って来なかった

 遠い風の向こうから記憶が蘇る。
 「お父さん、ちょっとトイレ行ってくる」と言って、父はしばらく戻って来なかった。幼い僕と妹は地方の深い森の中の焼肉店のテーブルに残された。多忙な父がたまの休日に連れて行ってくれた焼肉店だった。しばらく後で父はテーブルに戻って来たが、すぐに「ちょっとトイレ」と言って席を立った。父はほとんど焼き肉を食べなかった。
 帰宅し、居間で過ごしていると父は郵便物の入っていた紙の大きな封筒を手にして「ちょっと」と言って、廊下に出ていった。直後にうめき声が聴こえた。幼い妹が心配そうな表情で僕を見ていた。おそらく、僕も心配そうな顔をしていただろう。
 若い父はよく吐いた。通勤中に車を運転しながら吐いたし、飲み会の時に特大の灰皿に吐いた。嘔吐しながらも、僕達を育ててくれた。一昨日の夜、嘔吐してベッドの中で休んでいる時、僕は父のことを思い出していた。焼肉屋でトイレに立って、なかなか戻って来ない父のことを思い出していた。心配そうな表情の妹の顔を思い出していた。疲れてくると嘔吐する僕は父の子だった。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

指を喉に突っ込んで

 仕事中に頭痛がし始めた。心の中では笑っていないのに、表面的に笑わなければならない自分は病んでいる。病んでいる自分は笑わなければならない。20時に職場を出て、駅まで歩いていると気分が悪くなってきた。この通勤路には飽き飽きする。スーパーに寄り、値下げされた恵方巻きと落花生を購入した。レジで会計をするほんの少しの時間でさえ苦痛だった。
 頭痛が酷くなり、胸の辺りが苦しかった。体が異様に重かった。「僕、死ぬのかな」と思いながら、駅までの道を歩いていた。死ぬにしても、路上で倒れるのは寂しかった。せめて家に帰って、猫の天鼓氏に別れの挨拶をし、できたら妻が帰って来てから、「ああ、犬のようだ」とか、「あべし」とか「うわーうわーうわらば」とか、色々なセリフを言ってから死にたい気がした。実際、セリフなんてどうでもよかったが、とにかく帰宅したかった。
 一刻も早く帰りたいと思い、奮発して特急電車に乗った。車掌が回って来て、特急券を確認した。車掌の手の平に嘔吐しそうなほど気分が悪くなっていた。駅に到着すると、立ち上がるのさえ酷く億劫に感じるほど体調が悪化していた。家までの道のりが途方もなく長く感じた。眠くもないのに何度も欠伸が出た。

 家に帰り着くと、滅茶苦茶な脱ぎ方でジーンズを脱ぎ捨てた。ピッタリのサイズのジーンズがもし破れてしまったら、もう他に履くものがない。だが、破けても構わないという風に粗雑に脱ぎ捨てられている。天鼓氏が「ご飯」と言う。ウェットフードを提供しないと「納得できない、くれないならその首に齧りついて、頸動脈を引っ張り出し、コリコリとした感触を楽しんでやる」とでも言いたげに鳴くのだ。僕の体調のことなど考えていない。でも、死ぬ前にご飯だけは食べさせなければならない。ご飯を10秒ほど電子レンジで温め、天鼓氏の好みの温かさにして提供する。天鼓氏は騒ぎ立てたほどには感動のないリアクションで、ホットなウェットフードの匂いを嗅ぎ、ペロペロと食べ始める。僕はそれを確認するとコタツに吸い込まれるように倒れた。それから1時間ほど記憶がない。

 22時を回った辺りで妻が帰宅する。気分が悪い、と伝えると妻は早く休めと言い、風呂の準備をしてくれた。風呂掃除をしてくれている間、僕は立ち上がり、ベッドに向かおうとしていた。歩き始めた瞬間、僕は方向を変え、トイレに入った。白い便器を右手で掴み「ああ、この白い便器は細菌にまみれているだろうな。汚えなあ。しかし、僕は死ぬかもしれない」と思い、しゃがみ込むと同時に黄色い胃液のようなものを吐き出し、涙と鼻水を流していた。喉が胃酸で焼けるようだった。激しく咳き込んでいると、妻が後ろに立ち「吐いた?指を喉に突っ込んで吐かんね。楽になるよ」と言っていた。それ以上吐けそうになかった。
 給料も安いし、プライベートではちょっとしたトラブルが起きるし、頭もハゲてくるし、嘔吐するし、世の中には良いことが一つもないような気がした。そんな気がしたが、風呂の準備をしてくれた妻に感謝し、手を合わせた。ベッドに入り、眠りに落ちるまで吐き気は止まなかった。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

iPhoneがない3

 昨年のまだ暑さも残っていた頃にそれは始まった。僕はポケモンGOに夢中だった。ある駅の前でミニリュウを発見した。よっしゃー、と思い、ミニリュウをタップした瞬間に僕のiPhoneは突然シャットダウンしたのだ。バッテリー残量は20%だった。もうそれ以降充電するまで電源が入らなかった。その時はポケモンGOを起動していた事により、急激にバッテリーが減って0%になってしまったのかと思った。しかし、その後も残量が0%になる前にシャットダウンすることが頻発した。ある時など残量50%程度で電源が落ちるのだ。僕はそれをポケモンGOによるバッテリーの劣化と考えていた。しかし、ネットでこの症状を検索してみるとある記事を目にした。ある期間に製造されたiPhone6sに、突然シャットダウンする問題があるというのだ。



 アップル社の公式サイトにこのようなページが存在する。シリアル番号を入力し、送信ボタンを押下すると、突然シャットダウンしてしまう可能性のあるiPhoneかどうかが一発でわかるのだ。そして、該当するiPhoneは無償でバッテリー交換ができるという。僕のiPhoneはそのプログラムの適用対象となっていた。ポケモンGOでバッテリーが劣化しまくっていたので、これはいいと思った。いや、この突然シャットダウンする問題は売り物として当然あってはならないもの、改善する必要があるもの、アップル社にとっては症例をまた一つ解決することで、改善策をより強固にする有益なものだと思い、修理することを決断したのだった。これは僕のためではない、アップル社のためなのだ。

 修理は「配送」と「持ち込み」を選択できる。僕は「配送」を選択した。修理依頼をしてから5日で完了したという記事を読んだからだ。修理依頼の翌日、配送業者がiPhoneを取りに来るから、手元にないのは実質4日間。4日間くらい我慢できると思ったのだった。修理依頼をし、アップルのサポートに言われた通り、iPhoneのデータのバックアップを取り、リセットを行なった。
 翌日、配送業者がiPhoneを取りに来た。持って行った瞬間にパソコンを起ち上げ、業者の荷物問い合わせページをリロードしまくった。もう何も手につかなかった。狂ったようにF5キーを押しまくっていた。

 修理に出したiPhoneが手元に戻って来たのは2週間ほど後のことだった。それまでの間、寝る間も惜しんでF5キーを押していた。ほんの小さな衝撃だったが無限に重ねたために指先から順番に白骨化しているにも拘らず、狂ったようにF5キーを押下し続けるほど、僕は他の物事に一切関心がなくなっていた。

 iPhoneが届いたのは、ちょうど妻と長崎に行く日の朝だった。今、長崎ではランタンフェスティバルの真っ最中だ。その様子を写真に撮りたいと思っていたところだった。貧しさのためにデジカメを手放してしまっていたので、iPhoneがどうしても必要だった(デジカメの方がどう考えても安い)。だから、朝早くにiPhoneが届いたのは嬉しかった。僕はすぐにバックアップからデータを復元し、ジーンズのポケットにiPhoneを突っ込んで出かけたのだった。

 今やスマートフォンは生活になくてはならないものになっている。1台持っているだけでテレビも時計も時刻表もカレンダーも財布すらもいらない。もう服すら必要がないくらいスマートなものなのだ。それを失った瞬間、僕は寝坊して仕事に遅刻するし(実際はしていない)、日付もわからなくなるし、通い慣れた通勤路でさえ迷子になってしまう。一体、昔の人たちはどうやって生活していたのだろう、とすら思う。もう体の一部になりつつある。それほど重要な役割を担っていた訳だが、2週間持たない期間があったため、iPhoneを操作する時間がかなり減ったことも事実だ。僕は手元にiPhoneが戻って来てから、ほとんどポケモンGOをやらなくなってしまった。しかし、持っている事で、またスマホ操作時間が長くなって来ることだろう。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
プロフィール

たびびと

Author:たびびと
こんにちは、たびびとです。
ようこそ、ぼくのブログへ。

介護職員のバイトをしています。
時間がいっぱいあるので、ブログ始めてみました!

広告
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR