憂鬱なウニの香り、底辺コンボと胃痛、我が物顔の猫、何もしない

 駅の付属品のようなコンビニに入り、自らの手をムカデのように動かして、カゴに商品を投入していった。おにぎり2個とサンドイッチ、カップヌードル、プレミアムチキン、それとサイダー。この底辺コンボ、金額が1000円を超え、たっけぇえええーーーー!と内心思いながら、雨の降る通勤路に出て行った。憂鬱なキンモクセイの匂い漂う小道を歩きながら、ふと上を見上げると、オレンジ色の花が咲き誇っていた。僕はその花がウニのようだと思った。あの寿司のネタのウニである。全く以てロマンティックでない例え方をしながら、雨模様の路地を進んだ。秋の冷たい雨はプレミアムチキンをじわじわと冷たくしていった。
 踏切を渡り、公園の入り口を通り過ぎると、自宅までのちょっと急な上り坂がやってくる。僕は夜勤明けの体に鞭打って、ラストスパートをかける。最後の力を振り絞れ。その坂は力を使い果たすより早く終了する。いつもそうだ。そこまでの険しい坂道ではない。しかし、全力で上がると下肢にかなりの負荷をかけることができる。登り切ったところで、じんわりと怠さがやってくる。部屋に入ると、途端に疲労の色が濃くなる。動けなくなる前に面倒なことを終わらせる必要がある。とりあえず、シャワーだけでも済ませておく。いつもであれば、疲労と睡魔に耐えながら、洗濯まで済ませてしまうが、今日は天候が思わしくなかった。むしろ雨のおかげで早々と労働から解放されたことを幸運に思った。
 底辺コンボを胃に詰め込みながら、先日借りてきたDVDを観た。『まほろ駅前番外地』のDVDだ。瑛太と松田龍平のコンビを笑いながら観ていた。そういえば、DVDを借りてきた日、あの素晴らしく眠くなる『80日間世界一周』という映画が借りられていたのを発見した。それを借りた人物は如何なる人だったろうか。ジュール・ヴェルヌのファンなのだろうか。「今日は映画の日だ」と決めて、楽しみにしている独身サラリーマンかもしれない。自炊はしないから、僕と同様、コンビニで底辺コンボを購入、それに缶ビールを付け加え、ゆっくりと映画鑑賞を決め込むつもりだろう。家でまったりと休日を優雅に過ごす。これが彼の生きがいだ。するとどうだろう、ビールと『80日間世界一周』の効果により、一瞬で眠りに落ちてしまい、あっという間に土日の休日が失われ、気付くと月曜日の朝になっているかもしれない。彼は発狂寸前にまで精神状態が追い詰められるが、ふとこう思う。久しぶりにゆっくりと眠れたと。体調もなんだかいい気がする。翌週、翌々週あたりもDVD(もちろん80日間世界一周だ)を借りて来て、同じように過ごす。素晴らしき80日間世界一周。

 とこんなことを考えていたら、間もなく胃痛がやって来た。ジャンクフードばかり食べるからだ、と友人がメッセージを送ってくる。胃薬を飲もうと、ビンを手に取ったら、二つある胃薬がどちらも空っぽだった。「しまったー」と声を上げてしまった。本当に胃が痛い。先日、医者に暴飲暴食は控えてくださいと言われたばかりなのに。
 胃痛を抱え込んで、ベッドに倒れ込むといつの間にか寝てしまっていた。気付くと、猫も隣で寝ていた。猫はベッドには上がってはならないことになっているのに、我が物顔である。



 それにしても家の猫はこうして手で与えないと、ほとんど水を飲まないのだ。困ったものだ。

 夜になって、薬の入っている引出を漁っていたら、胃薬のストックを発見した。残り少なくなったので、『買い増し』ていたのだろう。助かったとばかりにすぐに飲み込んだ。

 今日はDVDを観る以外のことはしていない。掃除も洗濯も食事つくりもなしだ。夕食も、外でうどんを食べて来た。何もかも胃痛のせいにすることにした。今日は何もしない日だと開き直るしかない。

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熊本城

 外国人のツアー団体(ガイドがオーストラリアの旗を持っていたから、オーストラリア人だろう)に紛れて歩いていると、その中の子供がペットボトルを落とした。その子供の兄妹か友達が「What are you doing?」というような事を言っていた。外国の映画で聴いたことのあるセリフだと思った。僕は歩きながら、周囲に気付かれないようにニヤニヤしていた。

 さて、今日は電車で熊本に行って来た。西鉄電車を使い、大牟田まで行き、そこからJRで熊本まで。2時間弱という移動時間。帰りは熊本の交通センターから、高速バスを利用して帰って来た。自家用車での移動と違い、他人が運んでくれるので、公共の交通機関は楽である。とはいえ、自家用車はいつも妻が運転しており、僕は長距離の移動以外は運転しない。今回は妻にとっては楽であったに違いない(今日はとても暑く、その暑さにより二人ともぐったりしていたが)。

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 路面電車。
 乗り込んでから言うセリフ「すみません。この路面電車はどこに行くのでしょうか?」

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 熊本城。
 僕は熊本城よりも、そこに掘ってある井戸に注目した。深さ40mもある。熊本城の高さが32mであるから、凄まじく深い。覗き込むと、遥か遠くに四角く光る水面があり、そこには小さい僕の丸い頭が映っていた。落ちてしまったら、いつまでも底に到達できずに、悲鳴だけが延々と続きそうだった。

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 熊本城。後から。

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 本丸御殿の中で。

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 宇土櫓。

 様々な人々が観光で訪れていた。外人、一人旅、カップル、ファミリー。印象的なのは外人の「What are you doing?」と、歳の割に若い女性であった。フランス的(何がフランスなのか知らない、芸術的というニュアンスで受け取ってほしい)な黒のワンピースにサングラス、片手にキャリーバッグを抱えた女性が路面電車に乗り込んできた。自分はもう80歳だと言っているのが聴こえたが、その割に重そうなキャリーバッグを片手で持ち上げていたし、背筋はピンと伸びており、白髪ではあったが、僕が見てきた80歳の女性とは全く異なった、年齢に相応しくない若々しさを感じる女性であった。僕の想像では、不謹慎ながら、ご主人はすでに他界しており、お金が有り余っていて(有価証券を無限に保有しているやり手で)、時間があり、その時間を有効に使うことができる体力を有しているため、一人旅に出たといったところだろう。知らない土地に行き、知らない人に話しかけ、常に刺激を求めている、エネルギーに満ち溢れた非常にオシャレな女性であった。

 それにしても暑い一日だった。友人がとてもいいカメラを買ったというメッセージを送って来た。僕はそれが羨ましくて、自分もカメラが欲しいとさえ思っていた。使わないのに、なぜか欲しくなった。おそらく、今の状態でヤマダ電機あたりに行って、店員に詰め寄られ「このカメラは素晴らしい。お客様にピッタリだ」と言われたら、僕は支払能力の欠片もないのに、クレジットカードでカメラを購入してしまっていたに違いない。訪れた熊本城でも、古い建造物より何より、観光客が持っているカメラばかりに目が行っていることに気付いた。せっかく日帰りの旅で、文化財を見に来ているのに・・・。

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自主性のない読書は時間の無駄

 自主的に読書を継続するようになったのは25歳の頃だった。それまでは学校の読書感想文で最初の数ページだけ読んで、嫌になるタイプの人間だった。文章を読んで、物事を想像することがかなり苦手で、苦痛だった。今も変わらないが(実際、うまく想像できないものだから、読むスピードが驚くほど遅い)、面白いと思って読むと違ってくる。

 学校の読書感想文では、学校側で用意されたテキストの一覧から、本を選ばなければならなかった。僕は薄い(ページ数が少ない)という理由で本を選出していた。けれども、経験的にそういった薄い本は、かなり難解だったりする。たとえばカフカの『変身』などは高校生の僕には難しすぎた。僕が高校生の頃は、絵本がやっと読めるくらいのレベルだった(絵が楽しかった)。そこに来て『変身』という話など理解できるはずもない。なぜ、ある朝起きたら虫に変身しているのだ。実を言うと、今でもよくわからない。そこに実存主義とか、孤独だとか、色々付け加わってくると、もう訳がわからなくなる。虫けらのように扱われる人が本当に虫になってしまうなんて、酷い話じゃあないか。
 大岡昇平の『野火』という小説もページ数が少ない。夏休みの読書感想文だったし、ちょうど戦争の話を読むにはいい時期だったが、これも数ページ読んで放棄した。すべて読み終えたのは最近のことだ。内容が面白いとか、つまらないとかでなく、無知で、文章の読めない僕にとっては、やはり難解だった。戦争中の飢えとか、病気とか、敵兵や、捕虜になること、死体等、戦争を全く知らない赤ちゃんのような人間がいきなり読むと、話に着いて行けない。なぜ飢えるのか、飢える原因さえもわからない。お腹が減ったら、ご飯を食べたらいい話だ。しかし、戦地で十分な食事にありつけないことなど知らないから、食べられないという状況を理解できない。飢える気持ちなんて全然理解できない。栄養が不足し、脚気になる、というようなことが書いてあったと思うが、「脚気ってなんだよ」と思う。意味がわからずに読んでいても、全く面白いと思わない。いかに心のこもった文章も、全然理解できなくて、「つまんね」と途中で放り出すしかなかった。
 ヘミングウェイの『老人と海』は、シンプルだが、カジキとの格闘が本の半分以上、実に70ページ以上も描かれていたと思う。いつまで経っても、カジキと戦っている。やっとのことで老人は勝つのだが、最後の終わり方はあんまりだった。せっかく獲ったカジキを船に繋いで、漁港まで牽引していくのだが、サメに食べられてしまうのだ。カジキの角だけ残って、漁師仲間からは「これはでかいぞ」と信じてもらえて、名誉だけは守られていたはずだ。おそらく、それこそが大事なのだろう。しかし、老人は生活できるのだろうか、と心配になってしまう。これは25歳か26歳になって初めて読んだけれど、高校生の頃に読んでいたら、カジキとの格闘の途中で挫折していたに違いない。
 レンチェル・カーソンの『沈黙の春』という本では、地球環境について延々と書かれているのだが、これは挫折して読んでいない。途中で止めた理由は、同じような内容が繰り返し書かれているからだ。こんなことを言ったら、地球環境の改善を願う志の高い人々に糾弾されそうだ。実際、最後まで読んでいないから、この本に関して確実な感想を述べることはできない。ただ、同じように『沈黙の春』を読んだ友人がいて、彼に感想を聞いてみると、僕と同じ理由で途中で挫折していた。

 結局のところ、本を読むのであれば、積極的な自主性がなければならない。他人から強要されて読んでも、面白くない。夏休みが終わり、読書感想文の提出が遅れに遅れ、適当にカフカの『変身』のページをパラパラとめくり、開いたページの文章を抜き出して、デタラメな要約みたいな文章を書いて提出した瞬間に、国語教師がその場でさらっと読んで「ダメだこれは、これはただのあらすじだ」と言って付き返される、面白くないと思って読んだら、そういった悲惨な結果になってしまうだろう。自主性のない読書は時間の無駄だ、読書感想文なんてやらない方がましだ。あるいは、学校側で指定されていない本でもいいから、好きな本があればその本についての感想文を提出した方が、自分のためになる。
 読みたい本を読みたい時に読むのが一番良い。面白いと思ったものを面白いと思いながら読めることが重要なのだ。面白くなってくると、作者の生い立ちとか、生きていた年代の時代背景にも興味が湧いてくる。そういうものを知ると物語に深みが出て、格段に面白くなるはずだ。

 読むことでなく、ここからは書くことについて少し述べる。実は25歳の頃、本を読み始めてから、自分でも何か書いてみようと思って、いくつか小説のようなものを書いたことがあった。そうしたいくつかの話に対する感想を5,6年経過した今になって、友人が「面白い」と言ってくれた。とてもうれしかった。おそらくは、学生時代をともに過ごした友人だからこそ、僕の性格や、出来事を知っており、そうした時期に経験したことをもとに作った話を理解してくれたのだろう。
 25,6歳の小作品群は、とても拙い文章ではあるが、僕にとっては大切な思い出だ。それを今引っ張り出してみると、書きかけのまま、途中で放り出したものがいくつかある。25,6歳の頃の情熱と勢いは失われたものの、今になってまた続きを書いてみたいと思ったのだった。

 しかし、書こうと思うと、手が止まる。ブログすらどうやって書いていたかよくわからなくなってしまった。最近更新が少ないのも、何もしていない訳ではないのだ。一応、更新しようと思っているのだが、2時間くらいカーソルの点滅を眺めて終わってしまうのだ。今までのブログを読むと、これは本当に自分が書いた文章なのかと思ってしまった。文章たちは、すでに僕の手元から離れて、独自の道を歩んでいるように思えた。僕の脳みそから文章が出て行って、頭の中が真っ白だ。

「すみません、ブログはどうやって書けばいいのでしょうか?」と誰かに聞きたくなった。

「知らね」とその誰かが答えることを僕は知っている・・・

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眠くなる映画

 二日続けて5時起きで、睡眠不足になっている。仕事の都合上、仕方のないことだった。明日は職場には行くが、講習があるだけで、業務は一切しないことになっている。2時間ほどで帰って来られるから、気が楽だ。それにしても疲れた。特別な仕事などしていないのに。

 帰宅し、先日借りてきたDVDを妻に見せてみることにした。妻も観たいと言った。『80日間世界一周』という映画だ。見始めた瞬間に、妻は寝てしまった。僕は仕事の疲れと、映画の効果により、やはり眠くなった。ああ、すごく眠い・・・素晴らしい映画なのかもしれないが、意識が微睡んでいく・・・

 忙しいのに眠すぎる・・・

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亡霊

 寒い。本日はとても寒い。長

 天気予報は雨である。しかし、今のところ雨は降っていない。洗濯をするかどうか迷った挙句、正午になってやっと洗濯をした。こんな時、洗濯をした瞬間に雨が降るだろう。大体において、そういうものだ。洗濯を干し終わった途端に雨が降り、慌てて取り込むと止んでしまうのだ。「なんだよ、もう雨上がりか」とまた外に干すと、土砂降りだ。僕はこの状態を渋谷的な状態だと思う。東京の渋谷とは全く関係がない。発音も違う(シブヤ→でなく、シブヤ↑のような調子だ)。正確には”シブヤ”と書いた方がいい。東京の渋谷と区別するためにも。物事がマイナス方向へしか進行しない状態を所謂シブヤ的と言うのだ。これは大学時代のシブヤという人物から由来している。本人とはほとんど面識はない。全く知り合いではない。友達でもない。フェイスブックの友達が3人しかいないくらいだから、その人が友達であるはずがない。ただ、一度だけ話しかけられた程度だ。にも拘わらず、彼は強烈な個性を発揮しており、今でも僕の心の中には彼のキャラクターが存在感を持っている。
 そのシブヤ君(年上だった気がする)が、体育でテニスをやっていた時にミスって「しまったー」と高い声で叫んだ。たったその一言から、「物事がマイナス方向へしか進行しない」ことの代名詞となってしまったのである。考えてみたらおかしなものだ。たった一言発しただけなのに、その人がまるで失敗続きのような受け止め方をしてしまうなんて。いや、自分よりは、シケてばかりであってほしいという願望のようなものが彼のイメージを強烈にしたのだろう。自分よりシケた人間を作り出して、それよりも自分がマシに思えたら、日々の生活が苦しくても、「彼よりはシケてない」と安堵し、安心して暮らせるような気がする。そんな弱い心が生み出した、僕自身の劣等感の亡霊がシブヤなのかもしれない。

 確か前にも、彼についての記事を書いたことがある。いつのことだったか忘れてしまった・・・。それにしても4年間という長い学生生活のうちのたった一瞬の切れ端に、彼はなんという大きな絵を描いたことだろう。

 あなたにも、たった一度しか逢ったことがないのに、一度しか喋ったことがないのに、ほんの数瞬目が合ったことしかないのに、強く印象に残って忘れられない人の記憶はおありですか?

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好きなもの、信州そば

 夜勤明け。帰りの電車内で鈴の音が鳴りだした。もちろん、鈴などどこにもない。軽い幻聴のようなものだろう。聴こえるはずのないものが聴こえるのだ。今の職場になってから、よくあることだ。動けない入居者が鈴を鳴らして呼ぶ音が耳について離れない。休日も寝ていると急に鈴の音が鳴って、飛び起きる。
 めまいがして少し気分が悪かった。行き違いのため3分ほど停車した駅には煙の匂いが漂っていた。駅の向こう側には畑が広がり、老齢の農夫たちが刈った雑草を燃やしていた。故郷の春の野焼きを思い出して、懐かしくなった。

 帰宅すると猫がヒャッヒャと鳴く。うちの猫はなぜか「ニャー」でなく、「はッ」とか「ヒャッヒャ」などと鳴く。僕の耳がおかしいのか。時折眩暈がするくらいだから、おかしいかもしれない。

 ぺヤングソース焼きそばのデカいやつを平らげる。それと一昨日作ったカボチャの煮物が残っていたので、食べてしまう、何か白いものが浮いていたが気にせずに。妻が手羽元の唐揚げを作ってくれていたので、それも胃に詰め込む。栄養などどうでもいい。満腹を得るためだけの食事。そして、寝る。

 今日はサボらずに夕食を作ろうと思った。冷蔵庫を見ると先日買ってきた”焼きそば”が入っていた。賞味期限は今日だった。仕事から帰ってすぐにぺヤングを平らげているだけに、夕食も焼きそばかと思ったが、好きなので構わないと思った。どれだけ焼きそば好きなのだと思われるかもしれないが、好きなものなら3食続いても構わないと思う(そこまで焼きそばが好きな訳ではない)。僕は焼きそばというより、”そば”が特に好きなので、毎日食べてもいいと思っているほどなのだ。しかし、この街では、”そば”より”うどん”をよく食べるようだ。今まで入った店の”そば”はどれもおいしくなかった。ある店で”そば”を注文したら、”そうめん”が出てきた。それは決して”そうめん”ではないのだが、色が白く、そばの香りが全くしないのだ。こんなの”そば”なんかじゃねえ!と思ったものだ。”そば”と言えば、友人が「そば打ち職人はそばを裸足で踏むし、麺棒で麺を伸ばす時に汗が垂れて混ざるから汚え」と言っていた。もしそれが本当だとしたら、衛生的にかなりマズイだろう。職人の足が水虫だったりして、その足で直接麺を踏んづけていたら、マジで汚え。水虫と汗が混入した”そば”など食べたくはない。

 しかし、おいしいそばが食べたい。毎日でも食べたい。来月たった一泊だが、実家に帰るので、松本城付近のお蕎麦屋さんで、そばを食べたいなあと思っている。時間があればいいのだが。いや、時間はある。妻と結婚後の挨拶に行くのが今回の帰省の目的だ。結婚式をしていないので、この際両親や妹にも直接祝ってもらうために、会場を蕎麦屋にしたらいいのだ。入店して、そばを注文し、雑談をする。そのうち蕎麦が運ばれてくる。それをズルズルと啜って、全力で食べた後、一斉に店を後にする。これで結婚後の挨拶が終了するし、おいしいそばを食べるという願望も充足できるという訳だ。よし、そういうことにしよう。

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年末が見えてきた

 力士が100人くらい背後から全力で突進してくるほど、雪崩のように一瞬で、右肩下がりに年末を迎えそうな勢いが、今の僕にはある。

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放生会(ほうじょうや)

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 筥崎宮。福岡市東区箱崎に所在。そこで行われている『放生会』というお祭りに行って来た(昨日のこと)。博多三大祭りの一つ(博多どんたく、博多祇園山笠、そしてほうじょうや)。開催期間は9月12日~18日。

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 参道に露店が並び、びっしりと人で埋め尽くされている。苦しい。



 鳩みくじ。中吉。砂糖が当たった。「失敗の損失を悔やむな その反省から大きな幸が生まれる」か。それは楽しみだ。大いに失敗しよう。

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 勅額と呼ばれるものには『敵国降伏』と書かれている。元寇の際、その時の天皇が「敵国降伏」を祈願したそうだ。こうした歴史的なものは嫌いじゃない。パワーを感じる。こう書くと胡散臭く思われるかもしれない。けれども、その当時の人たちの思いが形として残っているということは、形にして残したいほどの訴え、形として残すだけの膨大なエネルギーがそこにはあったということだ。僕はこの『敵国降伏』という文字になぜか引き込まれていった。そこには荘厳な思いが込められているような気がするのだった。雄々しくて、気高い日本人の誇りのようなものがその四文字の言葉の中に見えるようだった。実際どうなのかわからない、当時の人々のことなどは。ただ財産を投じて、お偉いさんたちが見栄を張り、権威を示すためだけに造り上げたものかもしれない。それでも、僕は先人たちが誇り高い人々であったことを信じたかった。おそらく、僕が惹きつけられたのは、憧れからなのだろう。誇り高い人間への。

 本当は夜の露店、露店のグルメの写真等を撮影したかったけれど、夜勤明けで疲れていたし、あまりにも人が多く、苦しくなってきたこともあり、妻が「引き返して写真撮ってもいいよ」と言ってくれたけれど、帰ることにしたのだった。今日は朝から胃が痛すぎて、今までほとんど寝たきりだった。スマホで指一本を動かす程度がやっとだった。まずい。掃除も料理もしていないのだ。もうすぐ妻が仕事から帰って来るというのに。

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アニマリティ

 秋の空気に僕は少し憂鬱になった。これでキンモクセイの匂いなどが漂ってきたら、僕は寝込んでしまいそうだ。
 秋に似合うフォークソングを聴きながら、何をするともなく、パソコンの画面を眺めていると、猫草の種を水に浸してから1時間ほど経っていることに気付いた。猫草は随分前に枯れてしまっていた。猫が寂しそうに枯れた猫草を齧っているのが哀れだった。すぐに食べられる成長したものを買ってきたら済む話だったが、種を買って育てた方が安上がりだったから、ケチったのだ。枯れたら種を植えたらいいと考えていた。しかし、種を植えることは簡単なようで、面倒だった。

 初めはマメに育てていたが、なんだか最近植物を育てることを怠けている。植物からしたら、自分の命に係わることだから、たまったものではない。休みの日に植物を見ると「早く水を・・・水をくれ・・・」と飢えて、苦しむ植物の声が聴こえてくるようだ。ただでさえ、夏らしくない夏のために、元気のない植物たちなのに、その上に水ももらえないとなると益々苦しくなってくる。

 そんな植物たちの悲鳴が聴こえたような気がしたので、水やりをした。家の全植物がうなだれていた。やっと水がもらえたとため息混じりの安堵の声が聴こえてくる(ような気がする)。と思った途端、猫草を失った猫の天ちゃんがエバーフレッシュ(ネムノキ)の葉っぱを引きちぎって、むしゃむしゃと床に食べ散らかした。エバーフレッシュは「あああああああああああああ!!!!」と絶叫した。

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忘れ去られた夕食

 その部屋からはフォークソングがずっとリピートされて流れ続けていた。部屋の住人は飽きもせず、ずっと同じ曲を一日中聴き続けることができたのだ。部屋を覗いてみると、住人の男は散らかった机に向かって、座っていた。物が散乱した机の上をどうにか整理しようと試みているらしかった。しかし、男は「これは後で使いそうだ、これはおそらく使う」などと呟いて、一向に片付けを進めようとしなかった。そのうち一冊の本を手に取り、読み始め、整理は中断された。読書を始めたかと思ったら、すぐに眠気がやってきたようで、顔を左右に揺す振って、「ああ」とため息をつくと、電気ポットで湯を沸かし始めた。湯を沸かしている最中、男は飼っている猫と戯れはじめた。猫が力強く噛み付いたため、「あッ!」と悲鳴を上げて、腹を立てた。ぶつぶつ言いながら、小さく穴の開いた指の皮膚を泣きそうになりながら眺めていると、湯が沸いた。インスタントコーヒーに湯を注ぐと、机に戻って来た。乱雑に置かれた物を机の奥へと寄せて、マグカップを置くスペースを確保した。物が雪崩を起こしたら、マグカップは机から落下し、熱々のコーヒーは男の太ももにかかったことだろう。それに気づいたのか、男はコーヒー片手に、再び本を読み始めた。しかし、やはり眠気がたまらなくなったようで、しばらく座ったまま目を閉じた。再び「ああ」と溜息をつくと、冷蔵庫からドリンク剤を取り出してきて、一気に飲み干した。本を読もうとすると、一本の電話があった。男は慌てて夕食を作り始めた。

 夕食を食べ終え、入浴まで済ませた後になって、男は妻の指摘でオーブンの中に焼かれたまま忘れられたナスが入っていることに気付かされた。「しまったー」と男は嘆いた。

 最近、疲れが抜けない。

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スーハームーン

 夜空に立派な、真ん丸なお月様が出ている。風に揺らめく秋の薄雲のベールから、時折はっきりと姿を現して、優しい光で地上を照らしてくれる。スーパームーンというやつらしい。住処の裏の小高い丘の上の公園に行き、その夜空を眺めた。幸せがそこにはあった。その月に「俺は小さかったのだろう」と呟いてみると、嫌だった事どもが、どこかへ消えて行くような気がして、ほんの少しだけ生きづらさというものを忘れられた。心静かに月を見る。涙を一杯、月の夜に乾杯しよう。

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電車で席を譲る人。株を上げる人、下げる人。

 なんというか、その・・・仕事で疲れてしまって、最近は全く気力がなく、家にいるといつも家事だけをして過ごしている。職場では一生懸命働いて、上司や周囲の人たちから信頼を得て、株が上がることはあるかもしれないが、家庭内での株が暴落とまでは行かずとも、下落し続けている傾向が見受けられる。そろそろ妻にいいところを見せて、惚れ直させてやりたいところだが、なかなかそうはいかない。最近はいつも「クサい」と言われ続けているし、仕事から帰って来ると床に倒れるので、邪魔者扱いされる。臭くて、床に落ちているものなんだ?というクイズがあったら、妻は間違いなく「夫」または「主人」もしくは「旦那」などと回答するに違いない。どんなニオイがするのかと尋ねると、昨日あたりは「もんわりクサい」と言われた。その判然としない答えに僕はもんわりと悩んだ。

 株を上げるとか、下げるとかいう話で思い出したことがある。妻と電車で出かけた時のことだ。優先席に若い男が二人座っていた。外見を語ると、一人は大きなサングラスをかけたチャラチャラした感じの男で、もう一人は清潔感のある青年だった(妻の話によると)。この二人の若者は知り合いではない。たまたま優先席に肩を並べるように座っていたそうだ。そこに一人のおばあさんがやってきた。すると一人の若者が立ち上がった。

「どうぞ」とその若者は席を譲った。その若者はチャラ男だった。

 それを見ていた妻の脳内におけるチャラ男と好青年の株価に変動が起こった。チャラ男の株価が高騰し、見た目好青年の若者の株価が暴落したのだった。見た目好青年の若者は、居眠りを決め込んでいたらしい。それが寝たふりなのかは判明しない。猜疑心の強い人間だったら、おそらく寝たふりだと決め付けて、その青年が下車する駅まで目を離さず、車内アナウンスに対するリアクションを注意深く観察することだろう(そんな暇な人間はいないと思うが)。とにかく、社会的評価が格段に下がった好青年は、もはや好青年ではなく、不親切な印象を与えただけの青年になってしまった。

 どんなに信頼を得ていても、言動一つで信頼は失われかねない。好青年らしき不親切な青年は不運にも失墜してしまった。彼の罪は若さだった。若い故に罪があった。たとえおばあさんであっても、席を譲ることさえできないほどに体調が悪かったとしたら、妻の内的な評価は単なる誤解と言えたのではないだろうか?こういう考え方もできる、そもそも健康なチャラ男が優先席に堂々と座ること自体が誤ったことであり、席を譲るのは当然であった。そして、本当に具合の悪かった青年が社会的に失墜してしまったとしたら、それこそ不運としか言いようがないではないか。彼に罪があるとしたら、先にも述べたように、若いことだった。若い故に健康と思われても仕方がない。健康だから、足腰の弱った老人や妊婦などに席を譲らなかったとなると、周囲からは軽蔑の目で見られてしまう。誰も内容なんて覗っていなかったとしたら、それこそ当てずっぽうではないか。

 と、こういう変な考え方なしに、やはり単純に優先席というものが設けられている以上、お年寄りや妊婦さん、ハンディキャップを負った人はそれを利用すべきだし、それを必要と感じている人がいるのだから、元気がある人は席を譲るのは当然だ。そして、もし譲ってもらったならば、素直にお礼を言って、座るべきだ。
 たまに「わしは譲ってもらうほど老いてはいないわい!」と怒る人がいるようだ。そういう人がいるから、席を譲りたくても勇気を出せない人がいて、寝たふりをしたりするのだ。だから、譲ってもらった人は素直に感謝すべきだ。

 僕は譲ってもらったことはないが、こう見えて席を譲ったことは幾度かある。仕事終わりの電車で、座席がすべて埋まっていた。僕も座っていた(優先席ではない)。疲れていたから座りたいと思うのは当然だ。その車内に、一人だけ立っていたおじさんがいた。不思議なことに全席埋まった状態で、立っているのはそのおじさんたった一人で、他に立っている乗客は一人もいなかった。僕は本を読んでいたが、ふとおじさんに気付いた。おじさんはつり革を掴んで、ふらついていた。
 ここで色々勘ぐって、席を譲れなくなった人は多いと思う。ただの酔っ払いで、からまれたら損だとか、「わしは若い!」と怒られたら嫌だとか。
 実は僕はその時とてもドキドキしていて、心臓が爆発しそうだった。心拍数がかなり上昇していたと思う。自分の心臓の音が体中に響いていて、吐き気がし出した。なぜ、そこまでドキドキしていたかと言うと、僕はそのおじさんに席を譲るつもりだったからだ。そして、周りを見た。他に譲ってくれる人がいたら、その人に任せようとセコイ気持ちになっていたからだ。おじさんはこちらに背を向けていたし、向いの座席の人たちは一列全員おじさんと向かい合っていた訳だから、向いの席の人たちの誰かが譲ればいいという卑怯な考え方もしていた。
 けれども、驚くべきことに、その車両の僕と対面する席一列全員が睡眠をとっていたのだ。そのうち何割が本当の睡眠で、残りが寝たふりなのかはもちろん判別できない。ただ、怖かったことだけは確かだ。結局、顔を真っ赤にしながら、僕が席を譲った。僕は気弱な人間だから、周りにどう思われるだとか、色々気にして臆病になってしまうから、すんなりと人に席を譲ったりはできないのだ。
 結果的に、そのおじさんにはとても感謝された。おじさんが電車を降りるとき、改めて僕の前に来て、「ありがとうございました」と深くお辞儀をする姿が印象的だった。
 けれども、おじさんが怒っていたら・・・・その場でリアルファイトになって、若い僕がおじさんを突き飛ばしでもしてしまったら、僕の株は暴落どころか、パクられてしまったことだろう。結局、席なんて譲らない方がいい、譲りたいやつが譲ればいいと思っちまう気持ちはわからなくもないのだ。

 僕にとってはとても勇気のいる席を譲るという行動だが、チャラ男はいとも簡単にそれを実行するという点において、やはり僕の中でもチャラ男の社会的評価は格段に上がったと思う。だからといって、僕としては、外見上の好青年の株は下落したとは言い難い。なぜなら、青年も同じように席を譲りたかったかもしれないからだ。寝たふりをしながら、とても悩んでいたのかもしれない。席を譲ろうか、どうしようか。そうやって悩んでいるうちにチャラ男がさらっと席を譲ったのだ。

 ところで今日は中秋の名月というやつらしい。お菓子屋さんで和菓子を買ってきて、部屋の窓から外を見たけれども、残念ながら、月は反対側を浮遊しているらしく、見えなかった。僕の気持ちは浮遊している。あの横柄な地方公務員の顔面でもいい。いや、よく考えたら嫌だが、できればちょうどいい文鎮代わりになるものを叩きつけて、浮遊した心を抑え付け、自分と向き合いたいとさえ思うのだった。

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腸煮えくり返り、夜も眠れねえ。鎮静剤を飲む。

 人生初のコメダ珈琲。初めて入るお店はドキドキがいっぱいだ。しかし、今日の記事の大半はコメダ珈琲のことではないから、コメダ珈琲ファンの方々はここまで読んだら、このページを閉じた方がいい。




 Komeda's Coffee

 コメダ珈琲の女性店員の接客は、接客業務としてごく普通の、当然あるべき事を、至って当たり前のように行っているのだろうが、昨日の腹立たしい一件のことを思い出すと、その接客はとても素晴らしいものに思えた。オーダーを訊いて、注文したメニューを持ってくるというシンプルな業務だが、おそらくこれには資質が必要なのだ。誰にでもできそうで、出来ないことなのだろう。僕は最近笑顔で人に接することができるようになってきたが、とても緊張する。

 昨日、僕は以前住んでいた街の役所に赴いた。夜勤明けに、重い体を引きずって。訳あって、除票という書類が必要になったからだ。

 市役所に入ってすぐに除票の申請書類を書いた。疲労と戦いながら、書きなれない申請書を書いた。それを受付に持って行った。受付の女性は他の市民の対応に追われていた。それでも、視野が広いので、並んでいる僕に気を回してくれて、別の職員を呼んでくれた。しかし、その呼ばれて出てきた職員というのが、酷く無愛想で、自分のデスクから受付の席に座ることすら気怠そうだった。僕から申請書を受け取ったその職員は、

「住民票ですか?除票が欲しいんですか?」

 と、何やらイラついた調子で僕に尋ねて来た。申請書には除票1通とちゃんと書いてあるにも拘わらず。申請書の名前と住所の記入欄は二つあった。おそらく上の欄には現住所、下の欄には元の住所を書くのだろうと思ったが、下の欄には「申請者が同人であれば、記入不要」みたいな事が書かれていたので、それが僕を惑わせた。記入例があるのだが、眠気も伴って、それを参考にしようという考えどころか、記入例に気付きさえしなかった。元の住所がわかればいいのか、と思った僕は、元住んでいた住所を記入し、下の欄は「記入不要」と書かれた通り、空欄にした。元の住所の除票なのだから、元の住所を書けば、相手はわかるだろうと思ったのだ。

「どっちなんですか?除票でいいんですか?除票なら、ここに今の住所を書くんじゃないですか?これじゃあどの書類を出すのかわからないじゃないですか。ここに今住んでいる所を書いて、こっちには元住んでいた住所を書いてきてください」

 その女性職員は、明らかに僕の筆記ミスを責めながら、こんなこともできないのか、というような上から目線で、人を小馬鹿にした態度を取り、申請書を突き返してきた。どう見ても新人ではなく、20代~30代もしくは40代~50代の職員だった。態度と表情から随分老けた印象を持ったが、若いかもしれなかった。
 僕はその場で大爆発を起こして、その女性の髪を引っ掴み、投げ出されて浮遊する申請書類を安定させるための文鎮の代わりにカウンターに叩きつけてやろうかと思ったほど、つまりこれまでの人生で経験のないほど、暴力的に腹が立ったのである。突き返されて、受付のカウンターの上の宙を舞っている最中の申請書をこちらもむしり取るような調子で、引っ掴んで、「ああ、そうですか」と無愛想に返したが、その女性職員はそそくさと自分のデスクに戻ろうとしてすでに後ろを向いているところだった。さぞかし仕事が忙しかったことだろう。しかし、そもそも公務員の仕事とは一体何であるのだろうか。

 書き直した申請書を持って行くと、別の職員が対応してくれた。その方は受付の対応で忙しそうだったが、とても丁寧で美しく、こちらのわからないことをしっかり説明してくれた。それは当たり前のことではないだろうか?それとも、何も知らない僕は邪険に扱われて然るべきだったのだろうか。一方的に悪かったのだろうか。僕にも非がなかった訳ではない。記入ミスをしていたからだ。しかし、それでも僕は納得がいかなかった。

 これまでの人生において僕は、これほどまでに腹を立てたことがないと思う。いくらバカにされても、それは自分がバカだから仕方なかったし、相手も本気でバカにするのではなく、からかっていると言った感じで、こちらもある程度は笑って返せるレベルだった。
 しかし、あの地方公務員と来たら、見ず知らずの初対面の人間に対して、酷く見下した態度に出たのだ。思わぬところでそうした態度を取られたので、僕は驚くとともに、腸が煮えくり返る思いだった。滾った血はしばらく収まることはなく、夜勤明けにも拘わらず、眠気が吹き飛んだ。帰宅してから昼寝を試みたが、猛り狂った血は、僕に睡眠を許可させなかった。ひどく暴れたい気分だった。そんなことをしてもどうにもならないとわかっていようと。

 Skypeで友人にそのことを愚痴りながら、疲れ果てているにも拘わらず、興奮で覚醒しきった肉体を鎮めるために滅茶苦茶なフォームでシャドーボクシングを行った。何かを壊してやりたい気分だったが、適当なものが見つからなかったため、空気を壊そうと試みた。もちろん、空気を破壊することなど僕にはできなかった。空気を形成する粒子を少しばかり移動させる程度。何もかも空を切り、破壊されたのは自分の貧弱な筋肉のみだった。結局、日が暮れるまで悔しさで、寝ることができず、心も体も熱っぽかった。

 市役所の受付で大爆発して、何か怒鳴ってみたところで、悪者にされるのは僕の方だったことだろう。女性職員は冷徹な態度で、鼻で笑うか、ヒステリー気味に怒鳴り返すかするだろう。周囲から見たら、僕が頭のおかしな人間としか思われず、下手をしたら署っ引かれる。そのことも悔しいし、国や地方という大きな傘の下で、でかい態度ばかりの低水準な対応しかできない人間に見下されるだけ見下され、のうのうと税金を貪り尽くされていることが悔しくてならなかった。自分がめまいで倒れそうになりながら適当に働いて払った税金の一部があの女の欲求を満たしていると考えるだけでやりきれなくなる。まだ生活がとても苦しく、年金や住民税をとても苦労して払っていた時分、ヤクザのように税金を払えと急かされていたが、本当にヤクザだと思ったのは昨日が初めてだ。世の中をよくしてもらいたいと思って、納得して支払っていた税金だったが、昨日思わぬ形で、その心が裏切られた。

 友人だけに愚痴を言うに留まらず、悔しくて妻にも不満をぶちまけたら、メールで苦情を言えば良いと言われた。「『冷たい態度を取られ、悲しかった』というようなやんわりした表現を使って」と言われたが、そんな生ぬるい表現で自分の気持ちを表すことができないほど、僕は腹が立っていた。だからといって、このブログのように「おい市長、お前んとこのクソ職員を受付に叩きこんでやりたかったほどだぜ!」といった粗暴な表現をする訳にも行かず、結局メールなんて送っていない。腹が立っていて、その職員のネームプレートすら確認しなかった。せめて名前がわかったら、名指しでメールを送ることができたのに。もちろん、こちらも匿名でなく、堂々と名乗って。

 それにしても腹立たしい出来事だった。思い出すだけで頭がハゲる。いや、禿げている。元々禿げていたが、そのハゲも2週目に突入してしまうほどだ。あまりこういうことは書きたくなかったけれども、他に書くことが思いつかないほど頭にきていた。猫を病院に連れて行ったとか、ラジオで好きなフォークソングが流れていたとか、そういうこともあったのに。

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完了メール

昨日航空チケットを予約した。予約番号を控えていなかったため、焦っていた。予約完了メールがすぐに送られてくると思っていたが、全く受信しなかった。いつもならすぐにメールが来ていた記憶があったのだが。

今朝になって予約完了メールがやっと届いた。ちゃんと予約した情報が確認できた。コールセンターに連絡しようと思ってスマホを操作している最中のことだった。ほっとした。

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航空チケット予約

 10月に妻を連れて、実家に帰る予定を立てた。結婚後に実家に連れて行くのは、これが初めてだ。

 Webサービスを利用して、航空チケットを予約した。予約を確定した後、画面を印刷しようとしたら、パソコンがフリーズしてしまった。焦って×ボタンを押しまくったら、予約番号と共に予約確定の画面が消えてしまった。予約状況をメールで送信する前に消えてしまったため、予約番号を確認する術がなくなってしまった。仕方なしに明日の朝、コールセンターに連絡しなければならなくなってしまった。相変わらず、シケている。

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こんにちは、たびびとです。
ようこそ、ぼくのブログへ。

介護職員のバイトをしています。
時間がいっぱいあるので、ブログ始めてみました!

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