2人のモルモン

 あちこちを転々としているけれど、各地で2人組の外国人をよく見かける。2人組はいつも決まって白い半袖Yシャツ姿で、ネクタイを締めて、きちんとした格好をしている。なぜか必ずリュックサックを背負っている。自転車で移動している姿をよく目にした。ちゃんとヘルメットを被っている。日本各地、もしくは世界各地にこの2人組はいるのかもしれない。不思議な2人組だ。僕には知らない世界なのだろうと思っていた。

 行く道の途上ですれ違いざまに声を掛けられた。少し通り過ぎて、自分が声を掛けられたのだと気付いたので、振り返ってみた。外国人が2人立っていた。自転車には乗っていなかった。歩いている時は考え事をしていたから、前から外国人が歩いて来たことにはまったく気づかなかった。一人はブロンドヘアーの青年(国籍不明。アメリカ人かもしれない)で、もう一人はおそらく韓国の方だろう。2人とも身長が190cmを超えており、顔が小さくて、足が長かった。凄まじくスタイルがいい。それに比べ、僕は凄まじく頭が大きいし、信じられないくらい足が短い。加えて、相手が外国人であることから、英語で話しかけられる恐怖心のようなものを感じ取って、気後れしてしまった。通り行く人々が何事だろうかとこちらをチラチラと覗っているのがわかった。これは公開処刑というやつかもしれないと一瞬思った。ハゲた小さなおっさんが、身長の高い二人のイケメン外国人に囲まれているのは、人通りの少ない路地ではちょっと目立つ。僕は話し出した外国人を見上げる。青い空に外国人が聳え立っていた。

「あなたは信じているものがありますか?」

 金髪の外国人が片言の日本語で丁寧に質問してきた。正直言って、面倒だと思った。僕は用事があって銀行に向かっていた。早く済ませて家に帰って、ゆっくりと読書なり、音楽なりを楽しみたいと考えていたのだ。「信じてるもの?金だよ、金!私は忙しい。これから銀行に行くんだ!」と言って、立ち去ろうと一瞬思ったが、2人が「シホンシュギコッカニッポン、クレイジー」などと思って、日本人に失望するかもしれないと思い、「家族と友人です」と真面目に答えた。すると、二人とも真剣に頷いて、「なぜ家族・友人が信じられるのですか?」と訊いてくる。僕は考えた。理由なんてない。しかし、外国人は理由などないこと、言えないことを不思議がるかもしれない。確たる理由が思いつかないのでなく、実際のところ、友人や家族を信じる理由など考えたこともなかったから、そんなことを訊いてくる方がおかしいようにも思えた。

外人「なぜ、家族を信じますか?」
僕「そうだからです」

 一瞬こうした対処をしようと思った。外国の方が「コノニッポンジン ハ リユウモワカラズニ ヒトヲシンジル クレイジー」と思うかもしれないから、「いつもお世話になっている人たちだからです」と丁寧に答えた。

 彼らは益々真剣になり、熱心になっていった。話しかけられたのが狭い道のど真ん中だったから、話し込んでいると、車がやってきた。彼らは熱心過ぎて、車に気付いていないのか、全く避けようとしない。僕は視線を道の端の方に向けた。彼らは僕の視線の行方に気付いて、道の端っこに寄って来た。道路の隅には建物があり、僕は壁を背にした。僕を取り囲むように190cm以上ある外人2人。僕は捕獲されたUMAあるいは宇宙人のような気分になった。彼らは外国人であったが、その場では僕の方が異邦人のような気にさえなった。

「あなたはイエス・キリストについてどうお思いですか?」

「よくわかりません。そういったものに触れる機会もありませんし」

 僕は宗教家でもないし、インテリでもない。聖書を少し読んだことはあるが、よくわからない。それよりも、道端で背の高い2人の外国人に囲まれているという状況がおかしくなってきた。熱心に語りかける外国人が片言(しっかり話せているが、発音が外国人の発音)であることが、誠に失礼ながら急におかしくなってしまって、一瞬吹き出しそうになってしまった。必死で堪えた。それがいい笑顔に映ったのかもしれない。彼らも(本当の意味で)とてもいい笑顔になって話しかけてくれた。爆笑してしまっていたら、彼らは訳がわからず「クレイジー」と言ったかもしれない。よく覚えていないけれど、彼らは「私はキリストを信じています。そこには真実があります」と言っていたと思う。

「これを無料で差し上げます」

 ああ聖書か、と思い韓国人の手元を見ると『モルモン書』と書かれていた。聞いたことも見たこともなかった。まさに僕の知らない世界がそこにあった。キリスト教と言えば、新約聖書だと思っていたから。

「この本を読めば、真理を知る方法がすべて書かれています」韓国人らしき青年が言った。もし本当ならば、それは素晴らしい本だ。

「頂いてもよろしいのですか?これを読んだからといって、キリスト教を信じるかどうかわかりませんけど」

「もちろん。どうぞ」韓国人は親切にそう言った。僕がモルモン書を受け取ろうとすると「また会いたいのですが。次の日曜日に会いませんか?」とアメリカ人らしき青年が言った。僕は書を受け取ろうとした手を引っ込めた。

「仕事の休みが不規則で、休みじゃないんです(本当は実家に帰る)」と僕は断った。

「そうですか」とアメリカ人はとても残念そうな顔をして「では電話番号を教えて頂けませんか?こちらからまた連絡します」と付け加えた。一瞬困ったが「もし話を聞きたいと思ったら、こちらからお伺いします」と伝えた。するとアメリカ人は彼らの宗教のチラシをメモ代わりにして、電話番号を書いて手渡してくれた。彼らは自分たちの名(本名なのかどうかは不明。教会で与えられた名前だろうか?)を名乗り、僕の名前を聞いて来た。

「Tです」

 僕が名乗ると、外国人たちは「Tさん。カッコいい名前ですね!」と言った。もしかしたら、彼らにとってはあまりいいイメージでない名前だったかもしれない。大岡昇平の戦争の小説だったか、水木しげるの漫画か忘れたが、アメリカ兵が日本兵をその名で呼んでいる描写があったから。「いえいえ、あなたたちにとっては悪者の名前かもしれませんね」と言いたい気もした。

「今日は私たちの話を聞いていただき、ありがとうございました。それでは気をつけて」と言って、2人は手を振って去って行った。僕はちゃっかりモルモン書を受け取った。いや、彼らはちゃっかりモルモン書を僕に手渡した。僕は「頑張ってください」と声をかけ、銀行に向かった。

 帰宅後、せっかく読書をするのだから、『モルモン書』を読んでみようと思い、韓国人が「序文だけでも読んでみてください。5分くらいかかります」と言っていた通り、書を開いてみた。しかし、短い序文を5分以内に読むことができなかったばかりか、酷く眠くなり、わざわざベッドまで移動して横になった。気付くと17時になっていた。慌てて夕食作りに取り掛かった。

 僕には真理など一生わからないかもしれない。まず、2人の瞳は本当に信じられるものを持っているといった感じで、まっすぐで、とても綺麗だった。鏡を覗きこんでみると、自分の瞳が澱み腐りきっているように思えてならなかった。あの2人の言っていること、真理がわかるということは、本当のことかもしれない。おそらく信仰とはそういう事なのだろう。信仰心のない僕がいつもクソみたいな社会だと吐き捨てている日々を、彼らは真っ直ぐな瞳で、祈り続け、真実を見、信じているのだろう。

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